「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対する愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙 5章8節)
茅ヶ崎美術館隣りの高砂緑地に一人の詩人の蟲(むし)と言う歌碑があります。その詩人の名前は「八木重吉」。彼は町田の出身で横浜国大を卒業後、英語教員として務める傍ら詩作に精力的に打ち込み、わずか5年の間に2千を超える詩を書きました。
27歳の時、結核にかかり茅ヶ崎に転居、当時「東洋一」のサナトリウムと称せられた南湖院での療養生活に入りました。南湖院を出て家族は茅ヶ崎の十間坂に居を構えて、詩集の制作にあたったものの、出版物を見る事なく、29歳の若さで亡くなりました。
彼の書いた詩稿集「詩・母の瞳」に、娘と息子を題材とした2つの詩があります。
「桃子よ」
もも子よ
おまえがぐづってしかたないとき
わたしはおまえに げんこつをくれる
だが 桃子
お父さんのいのちがいるときがあったら
いつでもお前にあげる
「陽二よ」
なんといふ いたずらっ児だ
陽二 おまえは 豚のようなやつだ
ときどき 打っちゃりたくなる
でも陽二よ
お父さんはおまえのために
いつでも命をなげだすよ
重吉がこの詩を書いたとき、息子、陽二はまだ生後9か月の赤ちゃんでした。「いたずらっ児」といってもそんなに大したことではなかったでしょう。
大人げなくわが子に発せられる怒りの気持ち。親ならだれでも身に覚えのあることではないでしょうか。
しかし、「だが 桃子」「でも陽二よ」とのことばの根底には我が子のためなら命を投げ出すほどの深い父の愛情がほとばしり出ていると思うのです。
その背後には、信仰者として生きる「重吉」自身の苦悩があったのでしょう。彼は21歳の時、洗礼を受けクリスチャン生活を始めます。しかし、理想と現実のはざまで苦悩し続けていました。憎しみや怒りに捕らわれ、他の人と仲良くなれない自分。そんな重吉にとって桃子・陽二の父となったことは、わが子に対して無条件に注がれる愛を身をもって知るという経験の中で、自分自身が愛されている存在であることに気が付く機会だったのです。
本当なら神に見捨てられても仕方のない者であるにもかかわらず、そのような自分に向けて「いつでも命をなげだすよ」と呼び掛けてくださる方の存在を知る時、人は他の人を愛することが出来るのです。
この夏休み、神様に愛されていることを知り。その愛情を子どもたちに一杯注いでください。
(MIHATO KINDERGARTENニュースレター58号より) |